【生き方をカスタムしてきた】airbnbの専門家サカグチさんのプロフィール

サカグチさん
どうもー!こんにちは。当ブログの運営者でairbnbの専門家サカグチさんです。僕のこと知らない方に向けて、自分の自己紹介として人生の流れを全部書き出してみました。恥ずかしいけど、なんかスッキリしました。
タニシ
等身大のサカグチさんのプロフィールだね!Airbnbの特徴も書いてあって、すごいボリューム。
私とサカグチさんとの関係も書いてある〜!懐かしいね。
泊まログってどんな人が書いてるの?って、思ってくれた方に向けて一生懸命書きました。ぜひ読んでみてください。僕がどんな人かしっかり分かってもらえます。

ざくっと読むための目次

泊まログ@サカグチさんの簡単な経歴

1979年11月13日生まれ。愛知県名古屋市出身。名古屋市在住。

愛知県小牧市育ち。

当ブログの運営者でairbnbの専門家サカグチさんです。民泊運営代行業してます。Airbnbの専門家として、
家庭と遊びを両立させて楽しいライフスタイルを送りたい人のための民泊ブログ「泊まログ」を運営。

得意技はAirbnb。秘密基地で遊ぶのが大好きでよく自分のガレージでバイクをカスタムして遊んでいます。

小学校時代

ミニ四駆ブーム

ミニ四駆の全盛期で、愛読書は「月刊コロコロコミック」。徳田ザウルス先生のダッシュ四駆郎が大好きでした。ミニ四駆のレースにも出場していて、タミヤの前ちゃんやミニ四ファイターの改造記事を食い入るように研究&実践していました。地元のミニ四駆レースでは時々入賞や優勝もしたことがあるくらい夢中になって実績も残していました。

ブラックバス釣りに出会う

小学校の5年生くらいからブラックバス釣りに興味を持ち始め、「かへるくん」というカエルの形のルアーで野池に通い続けましたが、僕は小学校在学中には一匹もブラックバスを釣り上げることはできませんでした。一緒に野池に通っていた森田君が初めてブラックバス(34センチ)を釣り上げた時の喜びは凄まじく、二人で感動してケッタ(自転車)で家までブラックバスを持ち帰って、大切な宝物として森田君の家の冷凍庫に冷凍保存した程です。

※ケッタ(名古屋弁)・・・自転車のことです。

出典:メガバス好きだが他のも好き

中学校時代

出典: i.ytimg.com

中学校時代は野球部に入部、愛読書は「ろくでなしBLUES」でした。ローリングソバットとか、10円玉を拾うようなアッパーカットなど、よく真似して遊んでいました。中学時代の成績は意外と優秀で学年でも上位の方だったと記憶しています。ただし、なぜか英語だけは全くついていけず英語の授業はずっと居眠りしていました。

部活が終わったら、帰宅してバットを釣り竿に持ち替えて夜な夜な近所にナマズ釣りに出かけるような日々を送っていたのになんであんなに成績が良かったのかは今でも不思議だ。

野球部員としての活動は、最後の大会の数ヶ月前にチームメイトと些細なことが原因で殴り合いのケンカをしてしまい、右手の小指を骨折。最後の大会までには、ギリギリ骨はくっつきましたが、実力的にかろうじてレギュラーだった僕は後輩にポジションを奪われスタメン落ち。そして、チームは初戦敗退。最後の大会に出場できず引退。

次の日曜日親父と買い物に行く車内で、「今日は練習ないのか?」という何気ない親父からの一言に、悔しさと虚しさが込み上げてきて号泣してしまいました。

バスフィッシングを通じて海外の文化に興味を持ち始める

英語超苦手だけど、バスフィッシングというアメリカンカルチャーにのめり込んだ中学生時代、お年玉は全て釣り道具の購入に使っていました。リック・クラン、ラリー・ニクソンという米国のバスプロの名前に憧れ、TEAM DAIWAのリールを愛用していました。当時はアメリカがかっこよく見えたんですよね。

地元の小牧釣具店という釣り道具屋さんに毎日のように通っていて、釣り好きな大人たちと時々交流させていただいていた、今思えば小牧釣具店に通う毎日が、自分が子供の世界から、刺激的な楽しい大人の世界に徐々に入っていく入り口だったと思う。

ブラックバスが釣りたくて自宅から40キロ離れた大江川までケッタ(自転車)で通ったりしていた、1日に100キロ以上移動することもあり、まるで馬の部分が自転車になったケンタウロスみたいだった。弓矢の代わりに釣り竿を抱えて走り回っていました。

帰り道、外が真っ暗になって、ケッタ(自転車)を漕ぐのが辛くなってきたら、大声で、ザ・ブルーハーツのTRAIN-TRAINを歌って最後の力を振り絞って田んぼ道を爆走していたのを覚えている。

中学3年生の時に3年ぶりに森田君の家に遊びに行ったら、冷凍庫に森田君が初めて釣り上げたブラックバス(34センチ)がまだ冷凍保存してあったことは、今でも忘れられません。

 

高校時代

高校時代は同世代の女の子はルーズソックス全盛期。女子の方が男子より人数の多い、男女共学の普通科の県立高校に入学。モテたい。

日曜日も休みなく毎日軍隊のような練習をしなければならない野球をきっぱり辞めた僕は、心機一転、自分もテキトーに彼女とか作ってウェイウェイするつもり満々でした。

陸上部

1年生は必ず最初に一度は何かの部活に所属しなければならない学校のルールということで、すぐに辞めるつもりで適当に陸上部を選んで入部。陸上が好きで入部したわけではないので、なるべく走らなくても良さそうな、「やり投げ」を選択。

ところが、陸上部の先生の専門が偶然にも「やり投げ」しかも、僕と同じく釣り好きのアウトドアマン、偶然にも同じ小牧釣具店に通う者同士、妙に話が合う部分もあったりして、気がつけばきっちり引退まで陸上を続け、3年生の時には陸上部のキャプテンを務め、やり投げでは尾張大会優勝、愛知県大会4位入賞、東海大会出場、インターハイまであと少しくらいの選手になっていました。憧れの選手は、ヤン・ゼレズニー(チェコ)。結局のところ女子には全くモテず、特にウェイウェイすることはなかったです。

NBCトーナメント出場

高校生として普通に生活しながら、愛知県犬山市の入鹿池で開催されるNBC(日本バスクラブ)という団体の中部チャプタートーナメントにも参戦していた。

軍資金は入鹿池のボート屋でアルバイトをしながら稼ぎ、毎週どのエリアで釣れているのか情報収集もしていました。当時はトーナメントで優勝してヒーローになりたいというシンプルな動機で情報収集(リサーチ)していましたが、今思えば、魚のいる場所に竿を出すというのは、ビジネスにも共通している事かもしれません

釣り仲間の間でもトーナメント熱は加熱、友達のお兄ちゃんの影響もあり、いつも一緒に釣りをする友達は、全員16歳になった瞬間に小型船舶免許を取るのが当たり前になっていました。

特別大きな川も海もない愛知県小牧市在住の普通の高校生ですが、当時の僕は釣り人なら16歳になったら船舶免許を取るのが当たり前と本気で思っていました

僕も釣り仲間もそれぞれが、エレキという、バッテリーの電力でスクリューを回してボートを推進させる道具を購入し、魚群探知機も購入してトーナメントに参戦。真剣に勝負してました。現在の僕はインターネットでツールを使って、色々な市場をデータ分析するのが好きなのですが、思えばそのルーツはこの魚群探知機なのかもしれません

環境が人を育てるといいますが、小牧釣具店さんという大人たちがいる環境や、同世代の強力なライバル(釣り仲間)の中でトーナメントで優勝してヒーローになりたいという気持ちが僕をすごく成長させてくれていたと思います。

1995年7月23日入鹿池 準優勝

1996年6月23日入鹿池 優勝

という実績も残すことができました。

今でも自分が力をつけたい分野では、自分よりすごい人がいる環境に積極的に飛び込んで行くことを意識しています。最初は多少居心地が悪くてもその分野で自分を成長させるにはこれが最も良い方法だと思っています。

バイクに乗り始める

僕の通っていた高校ではHONDAの4ストローク、ミニバイクがとても流行っていました。モンキー、DAX、JAZZ、マグナ、みんな思い思いのオートバイライフを楽しんでいました。
ボクが選んだのはHONDAスーパーカブでした。

今までは、道路の縁をケッタ(自転車)で走ることしかできなかった自分が、堂々と道路の真ん中を走ることができる快感。

岐阜県や三重県にも行動範囲を広げ、自由になれた気がして、もう俺を誰も止めることはできないと本気で思った。

ファッション

僕が高校生の頃は空前のジーンズブーム。

皆がリーバイスのビンテージジーンズに憧れ。501XX、BIGE、66、赤耳という愛称の古着にものすごい値段がついていた。復刻版のジーンズも発売されていて、多くの人がそれを履いてビンテージジーンズのような風合いを出すことに力を入れていた。ヒゲやアタリを出すために、公園の砂場にジーンズをこすりつけたり、滑り台に砂をまいて繰り返し滑ってジーンズを育てている者までいた。

常識とは怖いもので、当時の若者(男)はジーンズは洗ってはいけないと信じ込んでいて、みんな購入後1年以上一度も洗濯していないクッサいジーンズを履いていた。履き心地はちょっとしっとりしている感じがデフォルトである。

今思えば、嘘みたいな話だが当時のその世代にとってはそれが常識だったので誰も信じて疑わなかった。

A君「昨日母ちゃんが勝手にジーパン洗いやがってさー!」

B君「マジでー!MK5だね〜。」

って会話が、あちらこちらで交わされていました。

ええ、もちろん僕もジーンズ育てていましたよ!

※MK5・・・マジ・キレる・5秒前のことです。

ファッションは高校在学中は若干ぶれたりもしましたが基本アウトドア系のものが好みで、

FILSONのダブルマッキーノクルーザー、

Dannerのダナーライトというブーツを好んで身につけていました。

今でも好んで着られるような一流のアウトドアアイテムをチョイスをしていたことはちょっとだけ当時の自分を褒めてあげたいです。

転売ビジネス

僕が高校生の頃はまだ現在のようにインターネットは復旧しておらず、「ヤフオク!」のような、誰もが使えるオークションサイトも存在しませんでした。

アルバイト以外にも、他になんとか稼ぐ方法はないかと模索していました。

ルアーを委託販売

最初にやってみたのは、学校のパンの購買所でルアーを委託販売すること。
当時プレミア価格になっていたアライグマの形をした、アライくんというルアーをパンの横に展示してもらいプレミア価格を付けて数日間、置かせてもらいましたが全く売れませんでした。

 

自作のカタログ販売

「フリーマーケットオブグッチ」(サカグチだからグッチ)という名前の手書きのカタログを作成して校内で物販を開始しました。自作のカタログといっても、A4の紙に手書きで商品名とキャッチコピーと価格を書いただけのものをクラス中に見てもらうという販売方法でした。

商品内容は、主にファッション系と雑貨で、価格の安さと物珍しさで少しだけ売上はありました。「フリーマーケットオブグッチvol.1」〜「フリーマーケットオブグッチvol.4」まで発刊したのを憶えています。

 

メディアを利用した個人売買(アパレルせどり)

委託販売もカタログ販売も大きな売上にならなかった理由はなんとなくわかっていました。
それは商品を欲しがっている人がいるところに商品を展示していなかったことです。要するに属性が絞り込めていなかったんですよね。

お腹が空いてパンを買いに来た人間が、ルアーに食いつくはずないですよね!ブラックバスじゃあるまいし!

そこで僕は、QUANTO(クアント)という、個人売買情報誌に商品を掲載する方法を思いつきました。その時のメイン商材はファッションアイテム。プレミア価格がつく商品を見つけたら、即購入してQUANTO(クアント)のファッションのカテゴリーに商品情報と個人情報を掲載して、購入希望者が手紙で連絡をくれるいう流れでした。 一回の取引で数万円の利益を手に入れることができていました。仕入先は新品の服屋さんで、転売目的で購入することもあるし、自分用に購入した服も、古着として転売すれば、購入した価格またはそれ以上の価格で販売することができました。ある程度の目利きは必要なものの当時は人気のあるブランドが存在していたので、自分が着用した後に、転売しても、購入価格を下回るようなことはほとんどありませんでした。

現代と違って、情報のスピードが遅いからこそできた手法だと思います。

レザークラフト

僕の周りではレザーウォレットがとても人気で、僕もオリジナルの財布を作りたいと思いレザークラフトマンになることにしました。

陸上部を引退した、秋頃から、同級生が受験や就職活動をする中、僕はレザークラフトマンになるためによく通わせていただいていた革細工屋さんで修行させていただいていました。高校卒業後もその革細工屋さんでレザークラフトマンとして働かせていただくことになりました。

そこで出会った先輩方はHarley-Davidsonに乗っていて、僕は独特の排気音に憧れを持ち自分もHarley-Davidsonに乗ろうと思いました。

Harley-Davidson

高校を卒業してからレザークラフトマンになって勤めていた革細工屋さんを退職後、VintageのHarley-Davidsonを取り扱うお店で働かせていただくこととなりました。

Vintage Harley-Davidsonのお店での最初のお仕事はレザークラフトマンとして、工具を入れるツールバッグなどの作成を担当させていただきましたが、通い始めて、1ヶ月で2度、遅刻してしまい「もう来なくていいぞ!」と言われてしまいました。原因は朝寝坊です。

寝なくても、俺ならなんとかなるという意味不明な自信を持っていましたが、そんなことはなく、やはり睡眠は大切ですね。

社会に出てからこれといった実績を残すことができなかったものの、俺ならなんとかなるという全く根拠のない意味不明な自信だけは継続中で、フリーランスとして活動をスタートさせることとなりました。19歳で独立です。我ながらいい選択をしたと思っています。

スタートは実家の自分の部屋でレザークラフトマンとして活動をスタートさせました。

自分のお店時代

日本中をバイクで廻る

実家の自分の部屋で、レザークラフトをやりながら、バイクで走り回ることに夢中になっていきました。なぜか当時の僕は、誘いを断る=男らしくない敗北者。という極端な思考回路だったため、お声がかかれば無理してでもどこにでも行くというノリでした。

Vintage Harley-Davidsonのお店で出会った方々と一緒に毎週ツーリングに出かけていて、北は北海道から南は沖縄まで、日本中を野宿しながらHarley-Davidson(ショベルヘッド)で旅する日々が始まりました。

自分のお店をDIY

そんな日々を過ごす中、ビレッジバンガード(本屋)で購入した、サンクチュアリ出版の「自由であり続けるために、僕らは夢でメシを喰う:自分の店」という本を読んで自分のお店をオープンしてみたいと思うようになりました。

お店を作りたいと思っていた時に、会社経営をしているバイク仲間の方から、会社事務所の一角を賃貸してくださるというお話をいただき、僕はそこで自分のお店をスタートさせることとなりました。「窓を入り口にしたいので、壁ぶち破ってもいいですか?」と聞いてみたところ、すんなり快諾してくれたことは、今でもすごい人だなと思っています。

早速、はつり機とハンマードリルをお借りして、壁に穴を開け、どでかいハンマーで壁を壁ぶち破り店舗の入り口を作らせていただいたことはいい思い出です。そして、人生初の自分のお店をDIYで作っていきました。

13匹の猫と酒と仲間とHarley-Davidson

店舗の隣には、古い雰囲気のある納屋があり、その納屋の屋根裏に自作の部屋を作ってそこに僕は住むこととなりました。そこは忍者屋敷のようになっていて、床をめくると一階にジャンプで飛び降りれるようになっていて、そこには仲間のVintage Harley-Davidsonと工具に部品、そしてバーボンがずらりと並んでいて、仲間が夜な夜なバイクを整備したり、酒を飲みながら談笑しているような場所でした。その屋根裏部屋の隣にはもう一人の男が住んでいました。九州は佐賀県出身の太鼓叩き(ドラマー)で、彼の部屋からはいっつもブランキージェットシティーが爆音で流れてたな〜!彼こそがタニシの名付け親です。

泊まログに登場するネコのタニシは僕らのルームメートで、よく一緒にご飯を食べたり遊んだりしていました。タニシは子宝にも恵まれ12匹の子猫を生みました、13匹の猫と酒と仲間とHarley-Davidsonに囲まれながら、毎日楽しく生活していました。

さて肝心な自分のお店の売上ですが、立地的には猫とその会社の人以外は誰も通らない場所ですので、口コミ以外の集客は皆無の状態でした。

やることはいっぱいあって何となく毎日忙しいんだけど、自分のお店の売上だけでは食っていけず、深夜にアルバイトをしたりもしていました。

VintageのHarley-Davidsonのお店の社長にも、「もっと人目につかないとダメですよ!」とアドバイスをいただいたことで客観的に自分の状態を見ることができたので、そのお言葉をいただけたことにとても感謝しています。

ストリート時代

僕は極端なことが大好きなので、猫しか通らない立地の対局として、エリア一番の繁華街を思い浮かべました。リサーチをするためにHarley-Davidsonで中心街をふらふらしていると、街一番の一等地の路上で、古着を売っている怪しいアフロヘアの男性を発見!!

直径60センチはゆうにありそうな大型のアフロヘアで、ティアドロップ 型のサングラスをかけていて、70年代くらいのヒッピーのようなファッションに足元は、木製の下駄。あっ、あやしすぎる!超ビビりながら、こちらから声をかけた結果、僕も隣で路上販売をすることとなりました。

猫しか通らない立地から、一日に数万人の人が行き交う場所に移転。見える世界がガラリと変わりました。やっぱり商売は魚がいるところに竿を出さなきゃダメですよね。魚群探知機で学んだことを思い出しました。たくさんの人々とのふれあいは、めちゃめちゃ楽しかったです。人目に触れることで、新規顧客が増え、仕事も安定するようになってきました。おかげで、深夜のアルバイトをやらなくてもやっていけるようになりました。

自分のお店時代2 立ちはだかる壁

時は流れストリートを卒業し、また新しく自分のお店を作ることにしました。お店としては3箇所目、レザークラフトの工房としては5箇所目です。

今度はストリートほどの人通りはないのですが、同じ建物に洋服屋さんとアクセサリー屋さんがあっていい感じ。

ストリート時代からのお客様も新しいお店にきてくれたりして、仕事は忙しい。忙しいんだけど、働いても働いても時間とお金の余裕が無い。

レザークラフトマンとしての経験値が付いてきて、だんだん収益の予想ができるようになってきた。このままのハンドメイドのレザークラフトマンという、ビジネスモデルだと売上の上限値は作業した分だけと決まっていて、やり方を変えていかなければ超忙しくても大きな収益は得られないということを意識し始めたのはこの頃でした。今までは、見えていなかった「越えられない壁」が存在することに徐々に気がつき始めたのです。僕のビジネスモデル模索の旅が始まります。

外国人に物が売れるのか

タイ バンコク視察

地球規模で考え始める

レザークラフトマンとして、商売をしていると、同業者がタイから輸入した商品を日本で販売するビジネスモデルがうまくいっているとの情報が時折耳に入ってくるようになってきた。

僕はタイのバンコクに、視察に行くことにしました。

そこで見る商品の数々、品質は多少劣るが考えられないほど安い価格の商品たちを目の当たりにしました。僕はそれを見て、日本国内だけに目を向けて商売をすることを辞めることにしました。自分はこれから地球でやっていかなきゃいけないんだなぁ〜と思い海外にも意識を向けるようになっていきました。

自分が好きで始めたレザークラフト。「我」の強い考えでモノ作りをしている自分。品質では勝っていても、生産効率の悪さから明らかにビジネスモデル的に難しい状況。今のままではこれ以上の成長は見込めない。

これだ!っていうビジネスモデルを見出せなくて、気持ち的に苦しかったです。今思えば、「我」をなくす勇気がなかったんだと思います。この頃はお客さんの方を向くんじゃなくて、自分の方を向いてモノ作りの事を考えていました。

俺の商品が売れない

このバンコク視察旅行では、もう一つの収穫がありました。

すれ違う全ての外国人に対して、「こいつは俺の作った財布を買ってくれるのか?」と僕の脳内でシュミレーションをしたことだ。そんなつもりなかったんだけど、「こいつは買うか?」「こいつは買うか?」って外国人とすれ違うたびに自然と脳内シュミレーションしていました。結果は全敗。僕のシュミレーションでは、僕の作ったレザー商品を僕の脳内で見知らぬ外国人に販売することは一つもできませんでした。見知らぬ外国人が、僕からわざわざ僕の商品を購入する理由は一つもないんじゃないかと考えました。

つまり、当時の僕は日本の市場が僕から商品を買ってくれなくなったら、世界中の誰にも売れるものが無いということでした。

自分の視野の狭さに気がつくことができて良かったです。実際には存在しない自分が勝手に作った常識にとらわれていたんだと思います。

北米旅行

米国製のビンテージアイテムが好きで、カナダのバンクーバー、アメリカのシアトル旅行に行ってきました。意識して考えようとしているわけではないのだけど、僕の潜在意識が勝手にカナダでもアメリカでもすれ違う外国人に「こいつは俺の作った財布を買ってくれるのか?」「こいつは買うのか?」と脳内シュミレーションしていました、今回もタイの時と同様に見知らぬ外国人が、僕から僕の作った商品を購入する理由は特にないなと僕の脳内では結論づけられました。苦しいですが、僕のビジネスモデル模索の旅は続きます。

北米旅行に行って良かったのは、外国人と会話して、この人たちも僕たちと同じ人間なんだなということが実感できたことでした。それまでの自分は、外国人と日本人を分けて考えている節があったのですが、言語の違いや文化の違い、環境の違いはあるけど同じ地球人じゃないかと考えることができるようになりました。

物販ビジネス

ビジネスモデル模索している中で、海外のインターネットサイトから、商品を輸入して日本国内でインターネットを利用して販売するという方法をはじめてみました。「同じ地球人から商品を購入するだけだ」と思っていたので割とスムーズにスタートすることができました。

輸入ビジネス

取り扱った商材は、abuのリールやFenwickの釣り竿、heddonのルアー、colemanのランタン、Harley-Davidsonの部品やvintageヘルメットなど自分が大好きな趣味のものを輸入して販売していました。これは、楽しかったですね。憧れのお宝アイテムが、一瞬自分のものになるわけですから、届いたダンボールを開封する時はいつもワクワクします!


ebayから仕入れてヤフオクで売ったり、amazon.comで仕入れてamazon.jpで販売したり。海外の業者と直接取引をして商品を仕入れることもありました。一ヶ月に数百万円仕入れをすることがあっても、ツールを使って相場をしっかりデータ分析してから、仕入れていることと、クレジットカードを上手に利用する事でうまく運用することができました。

輸入ビジネスで得たスキルが人生を豊かにした

何か物を購入する時は、国内だけでなく世界中から探す癖がついたので、輸入ビジネスのスキルは身につけといて良かったなぁ〜とつくづく思います。

僕は半世紀以上前に製造された古いアメ車を所有していますが、部品に全く困ることなく現代の車のように普通に維持できているのは、輸入のスキルと海外の商品検索のスキルを身につけたからです。

クレジットカードを活用してマイレージを貯めまくる

輸入ビジネスをやっているとクレジットカードで商品を購入することも多いのでクレジットカードでマイレージがどんどん溜まっていくのも嬉しい副産物ですね。
陸マイラーとしてマイレージ貯めるが大好きで、コツコツ貯めたり、ドカドカ貯めたり、いろいろなノウハウを実践中です。

物販ビジネスは、ほぼお任せしている状態ですが、やり方を変えながら現在も継続中です。

アメリカ進出

北米旅行で外国人と取引することに対するメンタルブロックをぶっ壊すことに成功した僕は、日本人に自分の商品や輸入した商品を売ることは、できるようになったがまだ外国人に対して何かを売る力を持っていないことが、なんか気に入らなくて外国人に物を売ることに挑戦することにしました。

狙いは、経済大国アメリカ合衆国。ネバダ州のラスベガスに人生初の会社を設立しました。日本でも会社作ったことないのにね(笑)今では、少しずつ知名度の出てきたペイオニアというサービスもまだ知られてなくて、米国企業から売上を受け取るために米国の銀行口座が必要だったんですよね。

当時ビジネス仲間の間で話題になっていた、Amazon.comで日本の商品を販売するビジネスに挑戦。Amazonのシステムは本当に上手くできているので、あっという間に約百万円の売上をあげることができました。しかし、利益は全く残りませんでした。原因は遠隔操作による経費が経営を圧迫していることでした。米国内で、トラブルがあった時に代行会社に費用をお支払いしてサポートしてもらっていたので、ことある事に経費がかかってしまい。自分でコントロールできないビジネスの危うさを感じたため早々に撤退、僕が設立した米国法人はわずか3ヶ月で廃業することとなりました。

オフロードバイクで怪我

苦しいビジネスモデル模索の旅は続きますが、自分のお店は人間関係にも恵まれ楽しく運営していたので友達や仲間が徐々にできていきました。バイク好きなのにオフロードだけは全く走ったことがなかった僕は、30歳の時にオフロードツーリングに連れてってもらいました。同じバイクの世界にも別次元で上には上がいる事を思い知らされ、その楽しさにのめり込んでいきました。

そんなある日、バイク仲間に貸してもらった、ガイ・クーパーという米国のモトクロスライダーのビデオを見た翌日、バイクの練習場でガイ・クーパーのテクニックを真似しようとしたところ、転倒!肩を亜脱臼してしまい、約一ヶ月ほど腕が上がらない生活を送ることになってしまいました。

怪我が治るまでの間、レザークラフトマンとしての収入は0円となりました。

輸入ビジネスはパソコンさえ触れれば、収益を生み出せるビジネスモデルだったので、とても助かりました。

最近では普段から、断崖絶壁や崖をオートバイで走っているので、またいつ怪我をするかわかりません。実際に再び同等の怪我をレース中に負ってしまったこともあります。怪我すると、労働による収入は一瞬で0になってしまうので、労働に依存した働き方は本当に危険だと思うようになりました。

この時の怪我のおかげで、自分が動き続けないと稼ぎが生まれない労働集約型の働き方から、なんらかの自分が生み出した価値や資産が勝手に収益を生み出してくれる資産構築型の働き方にシフトすることを強く意識し始めるようになりました。

ハワイで鳥肌が立つほどの衝撃! 民泊サービス Airbnbとの出会い

2013年の春

クレジットカードでしこたまANAのマイレージを貯めていた僕は特典航空券を利用して、両親と家族を連れてハワイに行くことにしました。滞在期間は2週間。

前半1週間はノースショアのAirbnb(上の写真の家を丸ごと借りました)、
後半1週間はワイキキのコンドミニアム(キッチン付きのホテル)

僕の家族は全員、口を揃えてAirbnbの部屋の方が楽しかったと言っています。

  • とにかく広くてゆったりとした部屋
  • 設備が完璧に揃った広いアメリカンスタイルのキッチン
  • たくさんの広々したベッド
  • 広大な広い庭
  • 広いバルコニーが最高でBBQ設備あり、リクライニングソファー、夕日も見えるオーシャンビュー
  • ビーチの目の前
  • 近所にスーパーマーケットもあり
  • プライベートロードを経て家があるので、セキュリティーも問題なし
  • 広い無料の駐車場
  • フレンドリーだが、不要な干渉はしてこないホスト(初日にのみ顔を合わせた)
  • ビーチパラソルや浮き輪、ビート板、クーラーボックスなども自由に使える
  • ベビーカーや自転車(ビーチクルーザー)まで自由に使うことができた

ワイキキのコンドミニアムも悪くないのですが、Airbnbで借りた部屋の方が、リアルにハワイに住んでいるかのような感覚で滞在することができました。僕の求めていた旅行のスタイルはコレだ!と鳥肌が立つほど衝撃を受けました。

2014年秋

友人がハワイで結婚式をするとのことで、再度、特典航空券とAirbnbを利用してラニカイビーチに1週間滞在。

小さな子供を2人連れての旅だったので一軒家に滞在することで、庭でBBQをしながら安心してゆったりとした時間を過ごすことができました。ラニカイビーチの目の前というロケーションもすごくありがたかったです。

あらゆるロケーションやいろいろな形態のお部屋から、自分にマッチした物件を選べる点もAirbnbの素晴らしい点だと思います。

こちらのホストはロンドンに出張中とのことでお会いすることはできませんでしたが、海外で仕事をしている間も遠隔操作でお部屋を有効活用しているホストの姿勢に大いに刺激を受けました!

ホストの売上を試算してみた

気になったので、僕の滞在した家が一ヶ月でどのくらいの売上になるのか試算してみることにしました。為替は1USドル=115円で計算しています。

2013年の1週間の滞在 $2188×115円=251620円

仮に4週間しっかり予約が入るとすると、×4で一ヶ月あたり、1006480円

2014年の1週間の滞在 $1750×115円=201250円

仮に4週間しっかり予約が入るとすると、×4で一ヶ月あたり、805000円

場所がハワイとはいえ、一ヶ月空き家を貸しただけで約100万円近い売上になるってすごいサービスですよね!実際に日本でもすごい実績を出されている方がたくさんいらっしゃいます。

ゲストととして利用してみて、満足度もめちゃめちゃ高かったですし、ゲストとホストがWin-Winの関係だなと思いました。

知らない外国人の家に泊まるっていう発想も面白い!僕ら小さい頃から、知らない人にはついていってはいけません!って教育受けてきたはずなんですけど、知らない人の家に泊まるって飛び越えすぎでしょ(笑)

実際に体験してみて感じたのは、こんなにいいサービスは絶対に日本でもスタンダードになるはずだと僕は思いました。

Airbnbは外貨も稼げる

Airbnbのホストは、売上を受け取る際、受け取り口座の通貨で受け取ることができるんですよね。(円でもドルでも受け取る方法を選択することができます。)

外国人に対して価値提供をして、外国人からサービスの代金をいただく事。僕がわざわざアメリカに会社を作ってまでやろうとした外国人相手にビジネスをすることが、日本にいながらできるんですよね!

日本にいながらドルを稼ぐこともできます!いい時代がやってきたものです!!

僕が実践したい資産構築型のビジネスモデル

民泊ビジネスには資産構築の要素がある

僕はバイクで怪我をした時に、自分が動き続けないと稼ぎが生まれない労働集約型の働き方から、なんらかの自分が生み出した価値や資産が収益を生み出してくれる資産構築型の働き方にシフトする事を意識するようになったのですが、

Airbnbを利用した民泊ビジネスって資産的な要素があるんですよね!

自分の労働が価値を生んでいるわけではなくて、お部屋を提供する事で、貸した空間が価値を提供しているわけです。

一度安定してゲストからの予約が入る状態を作ってしまえば、継続的に収入が生まれていくわけです。

僕の自己紹介から、Airbnbの紹介っぽくなってきたので話を元に戻します。

僕のビジネスモデル模索の旅の中でなかなか達成できなかった2つの要素がしっかり含まれているのがAirbnbを利用したビジネスモデルでした。

  • 外国人相手に価値提供できること。(マーケットは地球)
  • 資産構築的要素のあるビジネスであること。(思い切ってバイクに乗れる)

【現在】airbnbで人生をカスタマイズする生き方を発信中

泊まログの情報発信

airbnbをライフスタイルに取り入れることで、多くの方の人生をカスタマイズできるのではないかと思いairbnbで旅行した時の体験談や遊び方などを当ブログにて情報を発信しています。airbnbを仕事にできるくらい濃い情報を発信しています。

airbnb以外にも人生を楽しくしたり、個人輸入や旅行などの役に立つ情報を日々発信しています。

一切手を抜くことなく発信していますのでぜひお楽しみください。

airbnb運営代行業

  • 現在では、名古屋でAirbnb運営代行業者として活動中。不動産投資家さん、大家さんや副業で民泊運営をされている方へのコンサルティングとサポートをさせていただいています。
  • 普通の賃貸で不動産を運用するよりも民泊で運用した方が売り上げが大きく飛躍します。しかし民泊運営には普通の賃貸業とは違ったノウハウが必要です。そして、賃貸業にはない多少手間のかかる部分があるのも事実。
不動産投資家さん、大家さんまたは副業で民泊運営をしたい方の他にも、これからAirbnbにてビジネスをしたい旅館や民宿のオーナーさんのお力にもなれると思います。

サカグチの今後の活動

ここまでにお話しました通り、僕は旅行、釣り、バイクなどが大好きでそれらを人生に取り入れることでより充実したライフスタイルの構築を目指しています。

僕のコア・ミッションは、
「子供達に早く大人になりたいと思われるような存在の大人」を増やすことです。
楽しくかっこよく生きる大人や仲間を増やしたいと思っています。

airbnbはそんなライフスタイルを実現する方法の一つとしても素晴らしいサービスだと思っています。

今後、多趣味な大人のためのクローズドなコミュニティ運営をして行きたいと思っています。

僕の今後の活動はLINE@でも発信していきますのでお気軽にLINE友達になってくださいね。

ご質問、ご相談、ご感想などはお気軽にLINE@でメッセージくださいね。

セミナー活動

Airbnbのセミナー講師をさせていただいた時の参加者さんのご感想を紹介させていただきたいと思います。

Q,今日のサカグチ講師のセミナーで役に立った内容や印象に残ったことを記入してください。

A,

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なが〜い自己紹介最後まで読んでいただき本当にありがとうございます。

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